異文化理解ファイルNo.2~おばさん~
おば-さん【小母-さん】
1 よその年配の女性を親しんでいう語。「行商の小母さん」⇔小父 (おじ) さん。
2 子供に対して、大人の女性が自分をさしていう語。「小母さんにも見せて」⇔小父さん。
いつも彼女達と関わると思う。
自分もいつかこうなるのか。
気をつけたいがきっとどうしようもない。
こうして若者から嫌煙される運命、それをおばさんと呼ぶのであろう、と。
とは言え、この社会を回しているのは実はおばさんだと言って良い。
ブルゾンちえみが、男は35億いると言って世のアラサー独身女性をホッとさせ、
なんだ。まだ焦らなくても良いか。
などと、言ってウイスキーを飲んでいたあの人は今もうおばさんであるように、おばさんというのは溢れかえっている。
日常を振り返って欲しい。
コンビニに行けばおばさんがレジを打ってくれているし、
薬局に行けばおばさんが良いお薬情報を教えてくれ、
ヨガに行けばおばさんがおしゃべりしながらヨガをしてると見せかけてほぼおしゃべりをしているし、
友達や彼氏の家に遊びに行って、美味しいご飯を出してくれているのもおばさんであるし、
なにより一番身近な母親がおばさんだ。
どこを取っても私たちはおばさんと切っても切れない関係であることが分かる。
とは言え、
とにかくおばさんは、よく喋り、要らないことを言う。
まるで、要らないことが重要かのように伝えて来るし、つじつまが合わない話を5、6個は持ち合わせていて、それがなんと彼女たちの中ではつじつまが合っているように話す。
私は、と言うとそういった会話が大の苦手だ。
例えば職場でよくこう言う会話がおばさんと繰り広げられる。
『あ、そう言えばアレどうなった?』
と言われたら、待つしかない。
アレが何なのか分かるとでも思っているのだろうか。
私は超能力者でも長年連れ添った亭主でもないことを全く分かっていない。
その後彼女達はこう続ける。
『あのさ、こないだ渡したアレの中に入ってたアノ人のこと!』
文章で見れば明確だ。
これはもうほぼなにも伝えられてない。
クイズ番組だとしても、最低のクイズだ。もう少しとんちを聞かせてほしい。
そうすると今度はこう言う。
『そう言えばあの人って話し方変わってたよね。カラコン入れてアイメークばっちりしてます!って感じだったし。』
見てごらんなさい。
もうほぼなんの会話にもなっていない。
それで、話を戻し、その事柄について返答するまでに掛かる時間は5分だ。
本来の質問は、
『こないだ面接した〇〇さんの件、どうなりました?』
で済むので、30秒もかからない。
だけどもおばさんの手に掛かるとものの見事に話がズレる。
そんな人たちと会話すると言うのは極めて困難で、時にはイラつきさえ覚える。
ただ、思い出して欲しい。
私たちの社会はおばさんで回っているのだ。
彼女達をないがしろにしたら、私たちが社会から追放されるのだ。
腹が立つ。
なぜ、そんな嫌味を言えるのだろうという言い回しをしてくる。
さっき言ったことをまるで初めてのように聞いてくる。
大きい声で悪口を言ったりもする。
ただ怒ってはこちらの負けなのである。
私たちの愛すべき母親は全員おばさんであるし、女性はなんと漏れる事なく全員おばさんになるのだ。(一部の男性も)
そうなると、もはや私たちが間違っているような気もする。
きっと彼女達が正解だ。
彼女達が白といえば、確実に漆黒の闇でもそれは白いわけだし、彼女達が美味しいと言えばそれが腐りかけのものでも美味しいのである。
これは科学的にはまだ証明されていないが、実は女性は確実に羞恥心というものを40台前後で置いてきてる。
パーキングエリアの女子トイレが混んでいたら、
『今日だけオトコ!』
と言って男子トイレに入り、まるで並んでいるこちらが間違っているかのような顔をしているし、
電車で隣の席が空けば自分の荷物を置いて、確実に目の前に立っている人が座りたいだろうに、少し離れたところにいる友達を呼びその人を座らせる。
ただこの行動はある意味正しい。
マザーテレサはこう言っている。
If you can’t feed a hundred people, Then feed just one.
100人の人に与えられないのであれば、1人に与えなさい。
そうなのだ、おばさんはこの言葉を知っている。
トイレに並んでいる全ての人にトイレを譲れないのなら、男子トイレに入りなさい。
電車の人全てに席を譲れないのなら、友人に譲りなさい。
まさに彼女達はマザーテレサだと言っていい。
愛を持って、日本のマザーテレサと今後も接しようじゃないか。