異文化理解と言う名の社会。
まず、異文化と言うのは日本人同士でもあり得ると言うこと。
例えば、満員電車に乗っていて後ろから果てしなく押された挙句チッと舌打ちされたり、
友達が私の好きな人の悪口を言うからそんなに嫌な人だったのかと落胆しているとその途端その友達が私の好きな人と付き合い出したり、
人生というのは異文化とのぶつかり合いだと言っていい。
人種差別?
肌の色の違い?
言葉の壁?
宗教?
いやいや、人間性だ。
そんなの大人になってから区別されただけで、二十歳超えた大人なんかとうの昔にその人間の性格ができている。
要するに異文化とはこの社会であり、
異文化理解とはこの社会を生き抜くのに必要な術の一つに過ぎない。
人は、なんと、驚くなかれ、全員文化が違うのだ!
とは言え、私は現在、完全なる異文化、
その名もインターナショナルスクールで働いているので、それを元に異文化について解いて行きたいと思う。
インターナショナルスクールを異文化と呼んでいる私は、言わずもがなまだまだひよっこで、社会不適合者と言っていい人間。
そんな私も驚愕する日々が、この社会には転がっているのでそれを少し覗いてもらえればと思う。
みんなちがって、みんないい。
これは、言わずと知れた金子みすずさんの詩であるが、この境地に達するまで、要するに金子みすずのような出来上がった人間に達するまで、私はいける気がしない。
インターナショナルという異文化で、肩書きばかりの主任を務め、まとめ上げきれず毎日ゼェゼェ息を切らしてる私はこう思う。
みんなちがうの、わたしきらい。
金子みすずさんは、どこまでの苦労をしてこんな境地に達したのだろうか。
本当に偉大な人とは、計り知れない。
金子みすずさんには届かないまでも、もう少し上手く生きれるよう試行錯誤してるそんな毎日を徒然と書かせてもらいます。