ダサさ。
今日パスポートの更新をしに行きました。
20歳の8月に作ったものです。
その時一緒に更新しに行った友達と、30歳になったらさすがに名字も更新してるよね。
などと言っていましたが、姓も名も何も変わらずこの度更新の手続きとなりました。
パスポートと言うと私にとっては感慨深い存在です。
私の20代にドラマがあったとしたら、その台本はパスポートになるんじゃないかと思います。
20歳のパスポートに一番最初に押されたスタンプは成田空港の出国のものでした。
20歳の初めての出国先は香港でした。
両親と香港マカオその後北京に行くツアーです。
20歳になる前に、途上国にボランティアに行きたかった私はよく父と揉めていました。
でも20歳になった時、父がもう好きにしろ!と言ってすぐにフィリピン行きを決行。
その後の初の父との旅行でした。
思えば、この時期に彼は私を諦めたのだな、と。
諦められて仕方ないから受け入れてもらった旅行でした。
次も成田の出国から始まり、大きなVISAがパスポートの1ページに色鮮やかに貼られています。
カンボジアに行きました。
これは、この頃友達がカンボジアの村に日本語教師としてボランティアで行っていて、その子を訪ねに男友達と行こうとしたところカンボジアの友達が病気になってしまい緊急帰国。
まさかの2人旅、となった旅行でした。
しかしカンボジアの友達がカンボジア在住の友達を紹介してくれたので、向こうでは至れり尽くせりの生活でした。
私の右足に残る火傷の跡は紛れもなくこの時アンコールワットを回ってもらう時に乗ったスクーターのタンクについてしまったもの。
泊まってた宿のお父さんが大心配して大急ぎで持ってきたのが、歯磨きのチューブ。
それを大慌てで私の火傷に塗りたくって、見事30歳になりまで跡は残ってます。
ありがとう。これも私の身体に刻まれた旅のスタンプです。
その後、大学の修学旅行(2人)でチェコ・スロバキア・オーストリアのツアー。
ハワイ、バリ、韓国に友達と。
ベトナムに母と。
カンボジアに居た友達に今度は村を紹介してもらいに再度カンボジアに。
そして、シンガポールへ働きに行きました。
シンガポールに行く時は、両親が見送りに一緒に成田に来てくれていたのですが、なんと地元の駅で離れた友達が先回りして成田へ。
ワンピースのあの仲間たちの仲間の印を腕に描いて、最後私がエスカレーターを降りていく時にその腕を見せてくれました。
あの行きの飛行機は、嬉しくて大号泣で隣の欧米のおじさんに大心配されました。
シンガポールでは、マレーシア・インドネシアに何度も行ったのでインドネシアのビザがアホほど貼られています。
オーストラリアもワイナリー巡りに行きました。
ハワイで友達と合流して遊んだこともありました。
今考えるとカッコいいです。
そして帰国。
その後は、友達の結婚式でハワイに行ったっきりでなかなか海外には出れていません。
20代の私はとにかく自信がなく、このパスポートのおかげ少しずつ自信をつけていったと思います。
なにをしても劣等生の学生時代を過ごし、それでも友達には恵まれて、いつも友達と比較ばかりしてました。
友達と比較しては、自分の至らなさや、出来ないことに落ち込んで、自分のダメなところを責める。
それでもダサいままじゃ嫌だから、もがいて出来ることを探してまだまだダサくて、もがいて、ダサくての繰り返しでした。
そして、30歳。
たどり着いたのは、ダサさ。でした。
あぁ、私はダサくていいんだ。と言う自分を認めるという名の開き直り。
周りはみんなかっこよくて、私はダサいけど、なんかもはやそれもカッコよくない?
って思います。
20代は、ダサかった。
あぁじゃあ私はダサいのがもしかしたら魅力なのかもしれない、なんて思うんです。
ずっとね、カッコつけようとしてカッコつかなくてダサいんです。
それが、このパスポートで私がもらったプレゼントです。(カッコつけてる)
次のパスポート更新はなんと40歳。
出来れば、姓くらいは変わっていたいものです。
ダサさはそのまんまでいいから。