余裕。

司馬遼太郎の言葉で、こんな言葉があります。

「例えば、友だちが転んだ。あー痛かっただろうな。そう思える心を自分で作りあげさえすればいい。」

 

ここ最近、良い意味でタスクがすごく溜まっていてわーーー!と1人脳内パニックが何度かありました。

 

で、話は飛ぶんですが昔占い師に

あなたは戦車ね。

って言われた話はもうしましたっけ?

 

人を車に例えるってあります?動物ならね、まだ分かりますよ。生き物だし。愛着も湧くでしょう。

あ、私シロクマなんだー。たしかに、シャケ食べるの好きだなぁ。って。

でも、戦車は湧きませんよ。

まずあれでしょう。戦車って装甲で出来てるでしょう。で、あれだ。なんか大砲とかあるわけだ。全く分かりませんよ。

ちょっと感情的になっちゃいましたが、まぁ言われたんですね。

 

でね、私その脳内パニックになりそうな時ほど戦車だなぁ、と思っていて。(結局は)

 

脳内パニックの時って要するに、自分にしか目がいってないんですよ。

これやって、これやって、あれ送って、あれを伝えて、これは締め切りココだからリマインドここに打っとく、でもってあれを今全員に伝えなくては!!!!

ってもう頭ん中大忙しの時って、そればっかりで、

周りから、やっほー!ゲンキー?何してるー?って声を、うおーーーーーー!!!って戦車で通り過ぎて、ひき潰してて(ひどい)、ちょっと通り過ぎてから、あれ?なんか声聞こえたな。でも空耳かな?あれ?

なーんて、なってるんです。

 

そんな時って、周りの変化に気づくのも疎くて、自分のことばっかりで、ぜーんぜん人の変化に気づかないんです。

 

ねーねー聞いてー!

って言って貰えばもちろん、気づけるけど。

今もし友だちが転んで、あー痛かっただろうなぁ。って思えるかしら。と。

もしかして、私がひき潰してないだろうか。と。

 

なんだかこの言葉が、今の私には、ハッとして。

 

周りが見えなくなるとこ治したいんだけど、なかなかダメですね。

 

30になっても、余裕のある女には程遠くて、現役戦車みたいです。

 

とは言え、気づけたので

お風呂ゆっくり入ったり、ヨガやったりして、出来るだけ自分に余裕をもたせたいと思います。

 

 

友だちが転んだ時くらい、ちゃんと気づけなきゃね。

ソバカス。

ふ、と最近自分のことそんな嫌いではないなぁ。と思って。

 

もちろん、全部好きなほど自己肯定力ないんですが。

例えば、私ソバカスがあるんです。

それを、つい一昨年まですごい悩んでいてレーザーみたいなので消す美容外科みたいなとこ行こうかな、なんて思ってたんです。

 

中学とか高校の時はもっと嫌だったと思うんですけど、どれ程嫌だったかは覚えてないんですが。

 

でも、気づけば自分の似顔絵を描くときに(幼稚園の先生だから描くときがあるんです、遊びながらとかね)絶対にソバカスを入れて描くし、子どもにwhy do you have a lots of spots? と聞かれたら、Because it’s me.と答えられる。

 

まぁホンマこれ以上増えては欲しくないんですが、あるのが私かぁ。

ってなんとなくやっと受け入れられるようになりました。

 

それってなんでだろう〜と思って。

 

なんとなく自分で出た答えが、オトナだから。

と言うもの。

 

子どもの頃って両親や周りの大人にそのままで愛されていて、それにさえ気づかないほど純粋だった。

だから自分を否定しても、周りから愛されている安心感で、なんてゆーんだろう。本質の否定にならなかった、と言うか。

私は自分を否定している、とは言え親や大人は私のこと否定しないでしょ。

と言う勝手な安心感があった気がするんです。

 

でも大人になってみると、結構人って自分に甘くない。いや、もちろん私は結構甘やかされてる自覚はあるんですが、とは言え自分で自分を支えていかなきゃいけない。

ずっと甘えられるわけではない。

 

自分で立たなきゃいけない、戦う場面がたくさんあるんですね。

 

そんな時自分で自分を否定してしまったら、全くもって立ち上がる気力がなくなるし、誰も手を引いて立ち上がらせてくれない。

 

だから、多分少しずつ好きになるようになったんだと思います。

 

とゆうか好きでいなきゃやってられない、という部分も(笑)

 

なんかそう思うと、教育って大人になったときに自分を好きになる為にするものなのかも。

 

一つ一つ、苦手を砕いていったり、得意を増やしていって、そこで自分を見つけていく。

 

私みたいに大学卒業後も見つからなくても、仕事を通してだんだん好きな部分が出てくる。

 

だから、教育ではたくさんのことを学ぶんだな。

全部が役には立たないけど、全部が自分の糧になる。

そう思うと、やっぱり教育しててよかったと思いますね、今。

 

偉くならなくていい、

強くなくていい、

負けてもいい、

でも、ちょっとでも自分を好きになれたらいいな。子どもたちも。

 

 

もちろん教育だけじゃなくて、経験もあるんだろうけど。

 

 

みんなの中のソバカスもいつか好きに変わりますように。

全部じゃなくていいからね。

第三次世界大戦。続き。

こんばんは。

 

ずっと書いてないことを、メールでリマインドしていただいて気付きました。

 

日々の喧騒につい流されて「禅」を感じるって忘れがちですよね。

 

こないだなんかで頼んでた本が何冊か届いてその中に「ちょっと今から仕事辞めてくる」って言う本が入ってて、末期だったな。と思います。

ちなみにその本は読んでもう一回泣いてますのでご安心を。

その本に勇気もらって、よし!ちょっと辞めてくるか!とはならないのでね。

 

私が落ち込む時にやることのトップスリーは、

1,養老孟司

2,エレファントカシマシ

3,ウィスキー増し増し

です。

 

 

そんなこんなで、続きの話を一席。

 

アメリ

vs

フィリピン、ロシア

 

の構造になっていた話はしましたよね。

それで実はもう一人アメリカ人が居たのです

 

フィリピン、ロシアはそのもう一人のアメリカ人を仮にケビンとしましょう。そのケビンを交渉の橋渡しにつかいました。

 

ケビンはアメリカと話をし、こう説得したのです。

アメリカ!君はもうちょっとうまくやった方がいいぜ。少なくともここは職場だ。嫌われないようにフィリピンとロシアに少し優しくしていったらどうだい?

 

ちょっとこうして書いてみると、すごく字幕っぽくなりますね。戸田奈津子さんにでもなろうかな。

 

 

そうするとアメリカは吠えました。彼はそうですね、いわゆるトランプ大統領みたいな人で、やはり今のアメリカの名を背負うのにもってこいの人物像なのです。

 

ケビンお前だけには言われたくない!お前は誰の味方なんだ!?

だいたいお前は俺の年下じゃないか。(注)

お前が俺に指図する筋合いはない。

いいか!お前らは、リスペクトが足りないんだよ!年上にリスペクトしない方がおかしいに決まっているだろう!

(注、ケビン40歳。アメリカ53歳。日本人代表あすか29歳。)

と。

それにいくらケビンでも怒ってしまって。

全く説明してませんでしたが、ケビンはあれですよ。死ぬほど温厚です。ほぼブッダです。

 

ただ、ブッダの為時間軸が私たちとズレてるので、死ぬほど遅刻します。後はレッスンの準備を死ぬほどしません。要するにあまり人間界の仕事には向いてません。

 

で、ですね。

 

そこでアメリカ人同士が割れたわけです。

ついにアメリカは鎖国状態に、ケビンは貿易してロシアの領土に入ったわけです。

 

 

そこで、勢力を増したロシア、フィリピンは畳み掛けるように一気に攻撃を仕掛けていきました。

 

国際貿易のトップである社長に、その話を持ちかけて、アメリカを辞めさせて。辞めさせないなら私たちが今すぐに辞める。と。

 

トップはそのまま話を鵜呑みにするのを特技としていますから、すぐにアメリカと話をして、翌日から来るな!と伝えました。

 

それに怒り狂ったアメリカは、メール・電話で攻撃を仕掛けてくるわ、私達がアメリカの物を盗んだと言いがかりをつけてくるわ、で、もう大変。

 

 

現在は裁判を起こそうとしていて、このままいけばそうなるのではないか、と。

 

 

トップの交渉がうまくいかなかったんですね。

 

まだ結果は出ていませんが、今のところロシア、フィリピンの勝ちのような感じです。

 

言った通り、アメリカはもう来なくなったのだから。

 

とは言え、すごい戦いでした。

私は見事に、フィリピン、ロシア、アメリカ、ケビン、社長全てに巻き込まれるMs.Japaneseの名を欲しいままにしていましたから、

毎日毎日、だれかから誰かの愚痴を聞き、時には説教し、時には私が怒られ、時にはご飯に誘われていましたので、まぁ生きた心地がしませんでした。

 

どっちつかずの私が悪いと言ったらそうなんですが、どっちもどっちだと思ったんです。戦争ってそうゆうものでしょ。どっちも自分が正しいと思ってる。

 

だから、私は戦場には立ちたくなかった。

ただ意外と外から見てる方が辛かったりしますね。

彼らは自分を正しいと思っているからまるで悪びれませんからね。

 

そんなことがあって、もう2ヶ月くらい経つんですかね。

 

なかなか書けずにいました。

戦火にいる時って、なかなか鳥瞰出来ないもので。

 

今やっと書けました。

まぁまだ終わってないんですが。

 

とにかく、夢の中で松本人志の愛人になっちゃうくらいは毎日ヘトヘトですね。

せめて本命にしてくれないものかな、夢なんだから。

 

私は今日も世界平和と願わくば私の職場の平和と食べても太らない体とステキな彼氏とお金が急に舞い降りてくることを願うばかりです。

 

言葉。

今日美容院に行って、美容師さんに

 

もうすぐ30歳なのに結婚できそうにない、うえーーん。

って嘆いてたんです。

 

そしたらその人こう言うんです。

 

焦って誰か探しても、自分の性格って隠しきれないんだから絶対どこかでボロが出ちゃう。

きっと神様が、今はまだしなくてもいいよ。タイミングじゃないんだよ。って言ってくれてるんだよ。

焦って見つけた人と若いうちに子ども作って、何か我慢して生活するのも幸せかもしれないけど、先が長いんだから人生でこの人と一緒に居たいってパートナーを見つけられた方が幸せじゃない?

今の選択で良かったって思えるから大丈夫だよ。

 

って。

 

すごい有り難いです。

自分がそう思ってるかどうかってよりは、人にそうやって言ってもらえることが。

 

なんか私、助けられる言葉をね、もらえることが多くて。

 

 

仕事とか、

恋愛とか、

人間関係とか、

上手くいかないことって今までもアホのようにたくさんあったんですね。

 

そうゆう時に、自分がすごい思い詰めてる。と気付く前に

誰かの言葉で助けられることがあるんです。

 

それは意外と関係ない人の言葉だったり、

すごく近い人からの言葉だったり、

言葉じゃなくて行動で助けてもらえたりもするんですけど。

 

なんかそうゆうの、

みんなあると思うけど、嬉しいよね。

 

 

そうゆう言葉を私もかけられたらいいな、って思います。

 

何があっても揺るがない強さを持てるわけじゃないから、揺らいだら立ち直してくれる人たちがいるって心強い。

 

私も誰かのそうゆう人になりたいです。

 

大袈裟じゃなくて自然にそうなれたらいいな〜

 

 

言いたいことが言えちゃう世の中。メディスン。

どうですか、皆さん。

 

ガリガリくん食べようとしたら思ったより硬くて驚いてますか?

 

 

5月だって言うのに暑いですね、これは完全に私が20歳の時に酔っ払って温暖化の心配をして泣いたあの夜の涙が遂に現実になってきましたね。

 

20歳の時は地球の温暖化を心配していた私ですが、30歳を目前にした私は遂に自分が心配になりました。

 

地球の前になぜ自分の心配をしなかったのでしょうか。

私の心の清らかさを恨みます。

 

 

 

いいですか、私はなんとあの反町隆史もやり得なかった言いたいことを言ってしまうようになったのです。

 

あんなに、やりたい放題の鬼塚先生ですから言いたいことを言えない世の中なのに。

です。

 

なんと言うか、社交辞令とか言えると思ってたんです。

30も目前にするとね。ひとって。

 

ほら、私って小学生の時に先生が暖炉の上に置いてある水を入れる樽の中に入ってたツバのようなものの犯人探しをしてる時に、誰も犯人が名乗り出ないからって自分が犯人でもないのに先生にもう出ないならいいじゃないですか!って逆ギレして1人先生に怒られてシクシクして音楽室に行ったじゃないですか。

 

それね、なんか全然変わらなくって。

三つ子の魂って、なんか百までっぽくって。

 

自分が違うな、って思うと言っちゃうんです。

 

特にね、なんか上の人?自分が正しいと思ってる人?とかにたてついちゃうと言うか?

なんか生き方下手すぎるって言うか?

 

心配ですよ、鳥瞰するとヒヤヒヤしますよ。

おいおい、また言っちゃってるぜこいつ。

って。

 

例えばね、

上司に新しいカリキュラムを提案されるとまず私は、具体的な案を聞くまでは頷きません。

自分が理解してから、話を通します。

 

あとはね、

上司に説教されてもまず反省せずに、いやいや自分なんなん?って顔しちゃいます。

本当に自分が悪ければね、反省しますけどね。

大抵悪くないと思ってます。

 

 

ね、心配でしょう。

本当温暖化どころじゃないでしょう。

 

 

 

ただね、言いたいこと言えないのって本当ポイズンです。

ポイズンってどんどん身体を蝕んできて自分もポイズンになっちゃうんです。

 

でもホラ、あの反町隆史も嘆いてたくらいだし、本当はみんなポイズン抱えてるんだろうなって思ってさ。

 

私ってその分メディスン抱えてるから、みんなポイズン治したくなったら分けてあげるね。

 

 

ただメディスン持ってても、全然生き辛いけどね、この世の中。

 

 

ポイズン持ってた方がいいっぽいこんな世の中。ポイズン。

 

 

 

幸せ像。

幸せ。って思う時ってあるじゃないですか。

 

それって人それぞれですね。

って話をしたいな、と思うんです。

 

 

そんなの当たり前だよ!って思う方。

まぁそう焦りなさるな。

 

皆さんの思う通りね、

幸せってそれぞれじゃないですか。

 

犬と過ごす時間が幸せ。

好きな人といる時間が幸せ。

パクチー食べてる時が幸せ。

車を運転してる時、仕事で認められた時、結婚した時、お風呂に入ってる時…

多分挙げたらキリがない。

 

だってそれぞれだから。

 

 

ただ、それぞれ。と言う中にも漠然としていて曖昧なんだけど、誰もが共有できる幸せ。って絶対あると思うんです。

 

絶対に変わらない世の中の幸せ像。みたいなの。

 

例えば、家族への愛って変わらない。

 

形はそれこそそれぞれだけど、

きっとこれは全世界、紀元前から家族への愛ってなんとなく幸せを表す象徴だったりする。

 

 

それは例えだとして、他にもそういった確実な幸せ像っていうのって誰もが持っていて、ただそれを形や言葉や自分の人生に置き換えてみると色々な形に変形していく。

 

だから、なんてゆーんだろう。

みんな持ってると思うんです。幸せ像って言うの。

 

それをね、私も持っていて。

 

でもまだまだ!まだまだまだまだ!だな。と私は言いたい。

 

自分で、私の人生ってこんなもん。

と私の中の幸せ像をしぼめたくない。

 

例えばこの幸せ像って言うのが、恰幅のいい大きい太った象さんだとするじゃないですか。

像と象引っ掛けてるんですよ。

面白いでしょ。大爆笑。

 

でね、その幸せの象さんみたいに、自分の現実の象さんも餌をあげて太らしていく。

ただ餌ばっかりあげると長生きしないから、運動させたり、健康に気をつけながらね。

 

でもある時、その幸せの象さんに辿り着くのに、まだまだ年月がかかりそうだと気づく。

そこで、私は「ここまでやってきたんだ。まぁこんなもんだろう。」と思うわけです。

 

歴史がありますからね。自分のやってきた餌だったり散歩だったりを振り返ると、現実の象さんにだって愛着はある。

 

だからこのままでいいじゃないか、となる。

だから手を抜き出すんですね。

餌もこんなに良いものあげなくていいか、もう。

散歩もそんなに遠くまで行く必要はないか。

と。

 

でも待ってください。

それって実は、まだ分からないじゃないか。とも思うんです。

 

だってもしかしたら、散歩に行ったジャングルで急に素晴らしい餌を手に入れて栄養満点でたくさん太って元気いっぱいの象さんになるかもしれない。

いい餌をあげていなかったら、弱っていっちゃうかもしれない。

 

 

歴史や経験って時に自分を臆病にさせて、

踏み出す一歩が後ろに下がってるんだか前に進んでるんだか分からなくなってきます。

それで踏み出せなくなる。

 

でも踏み出すのって、後ろでも前でもどっちでも良くって。

自分の足で踏み出してることが大切なんだよな、と。

 

自分の現実の象さんを動かすことでしか、理想の象さんにはたどり着けない。

 

それを「まぁいっか」と現実の象さんで満足したら、きっとずっと理想の象さんには会えない。

 

だから、私は自分の象さんには、まだまだ期待してます。

だんだん下ネタみたいになってきちゃいましたね。

 

どうしてでしょうか。

 

象に例えた辺りからですね。

 

難しいものです。

要するに、もっと自分にはね、欲張りでいたいって話ですよ。

 

私なんて…って思うことあります、そりゃ。

ただ、そこで止まってたら、ずっと私なんて…って言ってる私なんでそんな私嫌いなんで捨ててきます。

 

何回でも脱皮してやりますよ。

こちとら虫でもなんでもないんでね。

 

とゆーね、

人生一度きり!

みたいな、自己啓発の話ではなくね。

 

 

ただの下ネタでした。

 

異文化理解ファイルNo. 3~日本人~

私は叫びたい。

 

日本人だいすき!!!

 

 

これは私自身が日本人だから、というそんな簡単な話ではない。

 

例えば、私がスロベニア人だったり、タンザニア人だとしても確実に

 

日本人だいすき!!!

 

と叫んでいるだろう。

 

まず日本人の良いところは、とにかく言ったことが出来る、と言うことだ。

 

私は仕事柄、指示を出すことが多い。

 

このレッスンをやって欲しい。

こうゆう内容を伝えておいて欲しい。

靴は靴箱にしまって欲しい。

携帯をいじらないでほしい。

子どもを見ててほしい。

 

等々を伝えて、まず一から十まで出来るのは日本人のみだ。(私調べ)

 

フィリピンは忘れたふりをしてやらないし、

ロシアは無視をすることが多いし、

アメリカなんと言うのはまず口ごたえから始まる。

 

日本人は絶対に、やってくれるのである。

 

こう聞くと、私の英語力の問題なのではないか、と思うかもしれない。

なるほどそれも一理あるだろう。

 

私の頭の中で出来上がってるイメージを、カタコトの英語で伝えるのは確かに全て伝わってる!と胸を張って言い難い。

 

しかし、私は日本人にも英語で指示を出すことが多いのでやはり感覚の問題な気もする。

 

とは言え日本人は本当に素晴らしい。

 

 

一度でも、海外に行ったことがあれば言わずもがなの話であるが

サラダについてくるドレッシングが《どこからでも切れます》となっているし、

雨の日に紙袋にビニールをかけるかどうか聞いてくれるし、

タクシーで基本的に運転手さんは道を知っている。

スーパーのレジの店員さんが店員同士でおしゃべりしてレジを打ってくれないことはないし、

水漏れがあったから電話してアポを取ったにもかかわらず翌日だと勘違いしてたこともない。

 

と言うことで私は日本人がだいすきだ!

 

では欠点がないか、と言うそうゆうわけではなく長所と短所と言うのはいつも表裏一体なもので、捉え方次第ではやはり文句のつけどころもある。

 

例えば、電車で通勤すると感じるのだが、

ギュウギュウに押し合ってるのになんと誰も何も言わない。

また降りるときにすみません。と言えばいいものを更に押して降りようとする。

言っとくがこちらは超能力を使えるわけではないので、あなたがどの駅で降りようとしてるかなんて知らない。

降りるなら一言声をかけるべきだ。

 

ただ、これは日本の文化と言ってもいいかもしれないがまず日本人はあまり思っていることを口にしない。

 

以心伝心

阿吽の呼吸

 

 

と言うように、沈黙を美徳とする文化がある。

 

まさかこのことわざを作ったときに、電車と言う乗り物ができてそれに人々がこぞって乗って、乗車率200%で押し合ってる

なんてことは想像できなかっただろう。

 

なので仕方がない。

また新たなことわざでも作るとしよう。

 

だいたいこんなの大した問題ではない。

 

 

ニューヨークでは地下鉄で急にパフォーマンスをし出す人もいれば、

マリファナを吸っている人もいる。

イギリスでは基本的に荷物から目を離せば確実にものが盗まれている。

シンガポールでは地下鉄に乗るだけで10以上の法律が作られており、ドリアンを持ち込めば罰金40,000円だ。

インドはだいたい電車から人がはみ出してる。

 

 

やはり日本は最強と言っていい。

 

ただ日本人はスタイルが悪い。

最近のこはスタイルがいい子が多いが、顔も正直欧米人と比べるとガッカリすることが多い。

 

私なんて言うのは、本当にこの人たちは同じ人間なのか。誰か偉い学者に納得する理由を見つけてほしいと思う日々である。

 

とは言え、日本人はそのコンプレックスを見事乗り越えている。

 

顔が薄いの悩んだ末、ヤマンバメイクという奇抜なメイクを生み出したし、足が短く寸胴なのを隠すために厚底ヒールを履いたのだ。

これをその昔流行ったヤマンバギャルと呼ぶ。

 

彼女たちは日本人に可能性を与えたと言っていい。

あんなこともできるのか、ああはなりたくないから、ではもう少し工夫すればなんとかなるのかもしれない。

 

そう思った女性は多いだろうし、

見事、今の日本人の女性達は上手なメイクでスッピンとメイク後の顔を別人にさせている。

私もその一人である。

 

コンプレックスを克服しているのだ。

 

私はやはりこう叫ばざる得ない。

日本だいすき!!!

 

と。

 

日本人は確実に、自分たちに誇りを持つべきだし、アメリカの機嫌を伺っている場合ではない、安倍総理

 

君はまず、部下の失態を解明して誇るべき国民私たちに説明すら義務があるはずだし、

機嫌をとるなら私たち国民の機嫌をとるべきである。

 

私たちの機嫌を取っておけば確実にもっと生産性が良くなる。

 

この勤勉で真面目な国民を確実に味方にするべきだ。

私が総理大臣ならまず日本人と言うだけで、生まれてくれてありがとう!となにかご褒美をあげるに決まっている。

 

全く安倍総理は私たちのことを理解していない。

彼の国籍が知りたいものだ。