ツキノワグマ。

この間、野毛山動物園に行ったんですよ。

動物見にね。

 

でね、私ツキノワグマ好きなんです。

なぜかっていうと分からないけど、とにかく好きで文句ありますか?って感じなんですけど。

 

で、ツキノワグマがね、オスとメス二頭いて、檻が別々だったんですよ。

 

で、檻の外に私たち人間に向けて、

『サンペイ(雄)は、コマチ(雌)に片思い中♡』

と看板に書いてあって、その後サンペイがコマチの檻の方に近づいて左右に揺れて求愛ダンスのようなことやってるんですよ。

 

看板を見た後の私は、ホンマや。サンペイ、コマチのこと好きなんや。(嫌われる関西弁)

と思って微笑ましく見てたんですね。

 

そんな週末がありまして。

 

でね、話変わるんだけど

色の話あるじゃないですか。

 

私たち人間が見えてるものの色は、太陽光の光の屈折で見えてる。

赤く見えるりんごは、他の色が吸収されて赤だけ残って赤に見える。

 

これを聞いて、なんてこった!と当時大学生の私は驚きました。

 

じゃあまるで世界は信用できないじゃないか。

赤と思っていたものは、赤ではない可能性がある。

私たちの目に赤く映っているだけなのだ、と。

 

それで

思ったんですよ。

 

サンペイ、コマチに片思い中なのかな?

って。

 

私たち人間って、物事をなにか言葉で表現したがるじゃないですか。

私たちの知ってる言葉で、これはこう!と箱を用意してそこに収納する。

 

それで、その出来事だったり、感情だったりを整理して、しまって、思い出す時に検索しやすくする。

 

でも言葉って多分まだまだないものが多いと思って。

 

例えば、子どもに毎日”How are you?”と聞いてるんですが、最近3歳児の子が”I’m happy & angry.”と答えるのにハマってるんですね。

 

それは反対のことを言っておもしろいと思ってるのもあると思うけど、たしかに1日のうちでその子笑って泣いて怒って色んな表情見せるんですね。

だから、そうだねhappy and angryだけじゃなくて他の色々もあるよね、でも言葉になってないだけだよね。

と思って。

 

だから全てをね、言葉で片付けなくてもいいなぁと思います。

 

なんか色々あるじゃないですか、人生。

それで、例えば裏切られたと感じたり、傷つけられたと感じた時って特に

なんでかな?

なんでこんなことになったのかな?

 

ってその現象と理由を言葉にしようとする。

もちろん言葉にできた方がいい場合もあると思うけど、let it goって感じで流しちゃうのもまた強さなのかな。と。

 

ボブマーリーで言うDon’t worry be happy的な。

ライオンキングで言うハクナマタタ的な。

 

言葉にしないこともあっていいし、枠にはまらないことがあっていい。

というかそれこそが人生よね。

と思うわけですね。

 

赤が赤かも分からない世界なんだから、ツキノワグマの気持ちなんて分からない。

サンペイがコマチに片思い中かなんて私たちが枠にはめなくていいよね。

まぁそっちの方が面白いんだけどね、人間的には。

 

でも言葉で表現しない生き物からしたらさ、

人間ってなんであんな喋ってるのに意思疎通できないんだろうな。

ほら、またあいつら喋りながら喧嘩して別れたよ。アホやん。

とか思われてそうじゃない?

 

みんなそれぞれだよね。

今日はいい天気だけど、曇りが好きな人も雨な好きな人もいるからいい天気もそれぞれだしね。

 

私は晴れが好きだけど、では快晴が好きなのか雲が少しあっても好きなのか、と言われるとうるせー、黙って空みてろ。って思うしね。

 

みーんなそれぞれだよね。

ダサさ。

今日パスポートの更新をしに行きました。

 

20歳の8月に作ったものです。

 

その時一緒に更新しに行った友達と、30歳になったらさすがに名字も更新してるよね。

などと言っていましたが、姓も名も何も変わらずこの度更新の手続きとなりました。

 

パスポートと言うと私にとっては感慨深い存在です。

私の20代にドラマがあったとしたら、その台本はパスポートになるんじゃないかと思います。

 

20歳のパスポートに一番最初に押されたスタンプは成田空港の出国のものでした。

20歳の初めての出国先は香港でした。

両親と香港マカオその後北京に行くツアーです。

20歳になる前に、途上国にボランティアに行きたかった私はよく父と揉めていました。

でも20歳になった時、父がもう好きにしろ!と言ってすぐにフィリピン行きを決行。

その後の初の父との旅行でした。

 

思えば、この時期に彼は私を諦めたのだな、と。

諦められて仕方ないから受け入れてもらった旅行でした。

 

次も成田の出国から始まり、大きなVISAがパスポートの1ページに色鮮やかに貼られています。

カンボジアに行きました。

 

これは、この頃友達がカンボジアの村に日本語教師としてボランティアで行っていて、その子を訪ねに男友達と行こうとしたところカンボジアの友達が病気になってしまい緊急帰国。

まさかの2人旅、となった旅行でした。

 

しかしカンボジアの友達がカンボジア在住の友達を紹介してくれたので、向こうでは至れり尽くせりの生活でした。

私の右足に残る火傷の跡は紛れもなくこの時アンコールワットを回ってもらう時に乗ったスクーターのタンクについてしまったもの。

泊まってた宿のお父さんが大心配して大急ぎで持ってきたのが、歯磨きのチューブ。

それを大慌てで私の火傷に塗りたくって、見事30歳になりまで跡は残ってます。

ありがとう。これも私の身体に刻まれた旅のスタンプです。

 

その後、大学の修学旅行(2人)でチェコ・スロバキアオーストリアのツアー。

ハワイ、バリ、韓国に友達と。

ベトナムに母と。

カンボジアに居た友達に今度は村を紹介してもらいに再度カンボジアに。

 

そして、シンガポールへ働きに行きました。

シンガポールに行く時は、両親が見送りに一緒に成田に来てくれていたのですが、なんと地元の駅で離れた友達が先回りして成田へ。

ワンピースのあの仲間たちの仲間の印を腕に描いて、最後私がエスカレーターを降りていく時にその腕を見せてくれました。

あの行きの飛行機は、嬉しくて大号泣で隣の欧米のおじさんに大心配されました。

 

シンガポールでは、マレーシア・インドネシアに何度も行ったのでインドネシアのビザがアホほど貼られています。

オーストラリアもワイナリー巡りに行きました。

ハワイで友達と合流して遊んだこともありました。

今考えるとカッコいいです。

 

そして帰国。

その後は、友達の結婚式でハワイに行ったっきりでなかなか海外には出れていません。

 

20代の私はとにかく自信がなく、このパスポートのおかげ少しずつ自信をつけていったと思います。

なにをしても劣等生の学生時代を過ごし、それでも友達には恵まれて、いつも友達と比較ばかりしてました。

友達と比較しては、自分の至らなさや、出来ないことに落ち込んで、自分のダメなところを責める。

それでもダサいままじゃ嫌だから、もがいて出来ることを探してまだまだダサくて、もがいて、ダサくての繰り返しでした。

 

そして、30歳。

たどり着いたのは、ダサさ。でした。

あぁ、私はダサくていいんだ。と言う自分を認めるという名の開き直り。

周りはみんなかっこよくて、私はダサいけど、なんかもはやそれもカッコよくない?

って思います。

20代は、ダサかった。

あぁじゃあ私はダサいのがもしかしたら魅力なのかもしれない、なんて思うんです。

 

ずっとね、カッコつけようとしてカッコつかなくてダサいんです。

 

それが、このパスポートで私がもらったプレゼントです。(カッコつけてる)

 

次のパスポート更新はなんと40歳。

出来れば、姓くらいは変わっていたいものです。

ダサさはそのまんまでいいから。

 

ある三十路の女の話。

とある三十路女の話なんですがね。

彼女は悩んでいました。

正に今、自分は誰の人生を歩んでいるのか、と。

 

本人としては、自分の人生は自分で決めて歩いてきたつもりでいた。

少なくとも、三十路を迎えるまでは順調のように見えた。

 

中学までは公立で育った為特になんの選択肢もないまま学生ライフをエンジョイしていたものの、高校からは自分(と自分の学力)で決断を迫られ、正にこの私が決断した気持ちでいた。

 

大学の頃、父に反対されながらも行った東南アジアのボランティアや、オーストラリアへの短期留学、失敗した青年海外協力隊の応募でさえ、この私の決断でやったものであるから、失敗しても自分で責任を負うことが出来ていた。

 

しかし、なんとこの三十路になって、私の決断のみでは人生が進まないという壁にぶち当たっているのである。

 

ある三十路の女、と謎めかしく冒頭で言ったくせにもう主語が私になっているので、要するにこれは私の話だな。とバレてしまっているであろうことは、壁にぶちあたってる割にはキチンと冷静に分かっている。

 

今は亡き、樹木希林はこう言った。

結婚なんて若いうちにしとかなきゃ。

分別がついてからは出来ないわよ。

 

 

三十路。

これはもうれっきとした大人であった。

私はというと小さいスクールながら、役職もついており、偉そうに毎日毎日先生にあーだこーだ、と指示を出し、入学希望の生徒の面接、就職希望の先生の面接をしている。

これは多分大人だ。

 

と、なると分別がある。という事になる。

 

正直実際の私に分別があるかどうかを本気で考えて伝えるとなると、無い。と言い切れるものの、とは言え世間からしたら分別のある大人になってしまっているのである。

 

これが逆コナンか。

と実感したところで、なにも生まれないし私にはアガサ博士も蘭姉ちゃんも灰原あいりもいないし、大体名探偵ではない。

 

 

分別がつく、と言うのは恐ろしいものでなんとまぁ私はあれだけ聞かなかった両親の話に耳を傾け、彼らの意見もまた一理あり。などと余計な(普通の)概念を用いてしまっているのである。

 

こうなると、勝手に生きてきたと思っていた私の時空が揺らぎ、私は誰の人生を生きているのか分からなくなってしまう。

 

まさか自分の概念を今更覆すほど、両親の意見に耳を貸す日が来たとは。と驚いている反面、ではどこで間をとって行こう、かと悩んでいる。

 

 

まぁ、大体まだ結婚の話が具体的に上がってるわけでは全然ないのだが、とにかく現状と両親の意見は真っ向に対立しており、まるで年末のK-1の前の試合する者同士の罵り合いのようなのだ。(見たことない)

 

ちなみに罵り合ってはいない。

意見の食い違いが、もはやそれ程あるという例え話。

 

そんな中この女は果たしてどんな決断を下し、どんな人生を送るのであろうか。

 

本人にも分からないのだから、乞うご期待である。

 

ちなみに今さくらももこさんのエッセイを読んだ後だから、口調がさくらももこさん風。

 

 

よくもここまで流される女が自分の人生を乞うご期待、と言えるものだ。

好き。

そう思えるものっていくつありますか?

 

私多分あまりそれを意識して生きて来なくて、それを友だちや知り合いに伝えてこなかったと思うんです。

 

 

でも、ここ最近その私の「好き」の1つを説明して、

いいでしょ!こんなに素晴らしいんだよ、みんなも絶対好きになった方がいいよ!

って思ってもらいたいものがあって。

なってもらえないと、この先に繋がらないんで頑張らないといけなくて。

 

でも、なんか「好き」だからこそ恥ずかしくて、

えへへ。こんなのどうかな、えへへ。

 

って感じにどうしても気持ちがなっちゃって、なかなかズバッ!とその気持ちを伝えられないんです。

 

でね、私の誇るべき友達に相談したら

 

1,そもそも自信がないから

2,もともと作られている何かではなく、自分自身の中の「好き」を説明するのが苦手

 

という事に気付かせてもらいました。

 

まず1に関しては、言わずもがなそうゆうことです。

自信って、「よーし!」って意気込んで着くものじゃないから自信を持てるように日々奮闘するしかないかな、と。

その中でも自分の苦手分野を意識して、解消して自信に繋がるようにしていきたいなと思ってます。

 

例えば英語。

私、どこかで英語を習ったわけではなくて、独学って言うと聞こえは良いけどなんてゆーんだろう。がむしゃらにコミュニーケーション取ってきただけなんですね。

だから、文法とか間違ってること多くて、まだまだたくさん周りの先生たちから教えてもらってるんです。

それで、多分伸びてきたと思ってます。

シンガポールにいた時より格段に今は喋れるけど、でもシンガポールがなかったから喋れるようにならなかった。

でもまだまだ、まだまだで。

で、今ね遅刻ばっかりして私に怒られてばっかりいるアメリカ人の先生から、喋りながらでも間違えて言った文法は直してもらうゲームしてるんです。

 

その指摘してもらった文法をノートに書き留めて(これもアメリカ人の先生のアドバイス)正しい使い方を覚えていく。

 

言葉って難しいです。

 

この場面なら使えるけど、この場面だと違和感あるなぁ。っていう感覚が分からないとなかなか。

日本語でもあるじゃないですか。

日本語の方が多いのかも。

 

そうゆうのってやっぱ感覚だから慣れてくしかないけど、とは言えこの歳になると忘れちゃうので書き留めることって大事です。

 

でも、そうやっていくうちにやっぱそれって自信に繋がっていて、自然と。

 

だから、積極的に話せるようになりますよね。

まぁもともとあんまり恐れず話すタイプだとは思うんですけど、より話しやすくなります。

 

だから、私の説明したい「好き」に関しても、自分の分からない部分をもっと砕いていってそれを自信に繋がるしかないな。って気づきました。

 

そして、2の

もともと作られている何かではなく、自分自身の中の「好き」を説明するのが苦手

に関しては、まだ解決策を模索してる感じです。

これは、例えば

私から生まれたものじゃない美味しいレストランとか、感動した映画とか、旅行で行った場所とか

って説明できるんです。

でも、自分の料理とか自分の想いとかってなんか昔から照れて思ったように伝えられなくて。

 

とは言え前者も苦手ですね。

なんかもともと感覚的に、好きなものは人それぞれじゃん。ってゆー少し冷めたところがあって。多分それって私の好きなものを否定されるのが嫌だからなんですけど。

 

自分が主張したら、相手もそれに反応するじゃないですか。

それに結構影響されるところあって私。

 

相手の反応が、イマイチだと、

え!そうなの?じゃあ私もあんまり好きじゃない!やっぱり!

 

ってなっちゃうことあるんです。意外でしょう。

 

だから、本来はあんまり主張したくない。

 

ましてや、私から生まれたものを否定されちゃったら、もうおしまいですよ。悲しくて、エレファントカシマシ聴きながら、夜空見上げます。

 

でもね、伝えなきゃいけない時が来たのです。

まだ来てないんだけど、でもそれに備えて私は準備しておきたい。

 

だから、心をね。強くしていきたいな、と思います。

 

折れない、信念。みたいな。

信念はあるんだけどなぁ、なんでかやっぱ苦手なんだよなぁ。なんだろう。

 

でも、それもやはり1に戻って、自分に自信をつけるとこで、少しずつ説明もうまく出来るようになるのかな、と。

 

むむむ。

悩んでます。

なんかアドバイスあったらお願いします。

 

とは言え気づけたのは第一歩。

誇るべき友達に感謝します。

 

これは覚えておきたかったので、覚書として。

 

 

余裕。

司馬遼太郎の言葉で、こんな言葉があります。

「例えば、友だちが転んだ。あー痛かっただろうな。そう思える心を自分で作りあげさえすればいい。」

 

ここ最近、良い意味でタスクがすごく溜まっていてわーーー!と1人脳内パニックが何度かありました。

 

で、話は飛ぶんですが昔占い師に

あなたは戦車ね。

って言われた話はもうしましたっけ?

 

人を車に例えるってあります?動物ならね、まだ分かりますよ。生き物だし。愛着も湧くでしょう。

あ、私シロクマなんだー。たしかに、シャケ食べるの好きだなぁ。って。

でも、戦車は湧きませんよ。

まずあれでしょう。戦車って装甲で出来てるでしょう。で、あれだ。なんか大砲とかあるわけだ。全く分かりませんよ。

ちょっと感情的になっちゃいましたが、まぁ言われたんですね。

 

でね、私その脳内パニックになりそうな時ほど戦車だなぁ、と思っていて。(結局は)

 

脳内パニックの時って要するに、自分にしか目がいってないんですよ。

これやって、これやって、あれ送って、あれを伝えて、これは締め切りココだからリマインドここに打っとく、でもってあれを今全員に伝えなくては!!!!

ってもう頭ん中大忙しの時って、そればっかりで、

周りから、やっほー!ゲンキー?何してるー?って声を、うおーーーーーー!!!って戦車で通り過ぎて、ひき潰してて(ひどい)、ちょっと通り過ぎてから、あれ?なんか声聞こえたな。でも空耳かな?あれ?

なーんて、なってるんです。

 

そんな時って、周りの変化に気づくのも疎くて、自分のことばっかりで、ぜーんぜん人の変化に気づかないんです。

 

ねーねー聞いてー!

って言って貰えばもちろん、気づけるけど。

今もし友だちが転んで、あー痛かっただろうなぁ。って思えるかしら。と。

もしかして、私がひき潰してないだろうか。と。

 

なんだかこの言葉が、今の私には、ハッとして。

 

周りが見えなくなるとこ治したいんだけど、なかなかダメですね。

 

30になっても、余裕のある女には程遠くて、現役戦車みたいです。

 

とは言え、気づけたので

お風呂ゆっくり入ったり、ヨガやったりして、出来るだけ自分に余裕をもたせたいと思います。

 

 

友だちが転んだ時くらい、ちゃんと気づけなきゃね。

ソバカス。

ふ、と最近自分のことそんな嫌いではないなぁ。と思って。

 

もちろん、全部好きなほど自己肯定力ないんですが。

例えば、私ソバカスがあるんです。

それを、つい一昨年まですごい悩んでいてレーザーみたいなので消す美容外科みたいなとこ行こうかな、なんて思ってたんです。

 

中学とか高校の時はもっと嫌だったと思うんですけど、どれ程嫌だったかは覚えてないんですが。

 

でも、気づけば自分の似顔絵を描くときに(幼稚園の先生だから描くときがあるんです、遊びながらとかね)絶対にソバカスを入れて描くし、子どもにwhy do you have a lots of spots? と聞かれたら、Because it’s me.と答えられる。

 

まぁホンマこれ以上増えては欲しくないんですが、あるのが私かぁ。

ってなんとなくやっと受け入れられるようになりました。

 

それってなんでだろう〜と思って。

 

なんとなく自分で出た答えが、オトナだから。

と言うもの。

 

子どもの頃って両親や周りの大人にそのままで愛されていて、それにさえ気づかないほど純粋だった。

だから自分を否定しても、周りから愛されている安心感で、なんてゆーんだろう。本質の否定にならなかった、と言うか。

私は自分を否定している、とは言え親や大人は私のこと否定しないでしょ。

と言う勝手な安心感があった気がするんです。

 

でも大人になってみると、結構人って自分に甘くない。いや、もちろん私は結構甘やかされてる自覚はあるんですが、とは言え自分で自分を支えていかなきゃいけない。

ずっと甘えられるわけではない。

 

自分で立たなきゃいけない、戦う場面がたくさんあるんですね。

 

そんな時自分で自分を否定してしまったら、全くもって立ち上がる気力がなくなるし、誰も手を引いて立ち上がらせてくれない。

 

だから、多分少しずつ好きになるようになったんだと思います。

 

とゆうか好きでいなきゃやってられない、という部分も(笑)

 

なんかそう思うと、教育って大人になったときに自分を好きになる為にするものなのかも。

 

一つ一つ、苦手を砕いていったり、得意を増やしていって、そこで自分を見つけていく。

 

私みたいに大学卒業後も見つからなくても、仕事を通してだんだん好きな部分が出てくる。

 

だから、教育ではたくさんのことを学ぶんだな。

全部が役には立たないけど、全部が自分の糧になる。

そう思うと、やっぱり教育しててよかったと思いますね、今。

 

偉くならなくていい、

強くなくていい、

負けてもいい、

でも、ちょっとでも自分を好きになれたらいいな。子どもたちも。

 

 

もちろん教育だけじゃなくて、経験もあるんだろうけど。

 

 

みんなの中のソバカスもいつか好きに変わりますように。

全部じゃなくていいからね。

第三次世界大戦。続き。

こんばんは。

 

ずっと書いてないことを、メールでリマインドしていただいて気付きました。

 

日々の喧騒につい流されて「禅」を感じるって忘れがちですよね。

 

こないだなんかで頼んでた本が何冊か届いてその中に「ちょっと今から仕事辞めてくる」って言う本が入ってて、末期だったな。と思います。

ちなみにその本は読んでもう一回泣いてますのでご安心を。

その本に勇気もらって、よし!ちょっと辞めてくるか!とはならないのでね。

 

私が落ち込む時にやることのトップスリーは、

1,養老孟司

2,エレファントカシマシ

3,ウィスキー増し増し

です。

 

 

そんなこんなで、続きの話を一席。

 

アメリ

vs

フィリピン、ロシア

 

の構造になっていた話はしましたよね。

それで実はもう一人アメリカ人が居たのです

 

フィリピン、ロシアはそのもう一人のアメリカ人を仮にケビンとしましょう。そのケビンを交渉の橋渡しにつかいました。

 

ケビンはアメリカと話をし、こう説得したのです。

アメリカ!君はもうちょっとうまくやった方がいいぜ。少なくともここは職場だ。嫌われないようにフィリピンとロシアに少し優しくしていったらどうだい?

 

ちょっとこうして書いてみると、すごく字幕っぽくなりますね。戸田奈津子さんにでもなろうかな。

 

 

そうするとアメリカは吠えました。彼はそうですね、いわゆるトランプ大統領みたいな人で、やはり今のアメリカの名を背負うのにもってこいの人物像なのです。

 

ケビンお前だけには言われたくない!お前は誰の味方なんだ!?

だいたいお前は俺の年下じゃないか。(注)

お前が俺に指図する筋合いはない。

いいか!お前らは、リスペクトが足りないんだよ!年上にリスペクトしない方がおかしいに決まっているだろう!

(注、ケビン40歳。アメリカ53歳。日本人代表あすか29歳。)

と。

それにいくらケビンでも怒ってしまって。

全く説明してませんでしたが、ケビンはあれですよ。死ぬほど温厚です。ほぼブッダです。

 

ただ、ブッダの為時間軸が私たちとズレてるので、死ぬほど遅刻します。後はレッスンの準備を死ぬほどしません。要するにあまり人間界の仕事には向いてません。

 

で、ですね。

 

そこでアメリカ人同士が割れたわけです。

ついにアメリカは鎖国状態に、ケビンは貿易してロシアの領土に入ったわけです。

 

 

そこで、勢力を増したロシア、フィリピンは畳み掛けるように一気に攻撃を仕掛けていきました。

 

国際貿易のトップである社長に、その話を持ちかけて、アメリカを辞めさせて。辞めさせないなら私たちが今すぐに辞める。と。

 

トップはそのまま話を鵜呑みにするのを特技としていますから、すぐにアメリカと話をして、翌日から来るな!と伝えました。

 

それに怒り狂ったアメリカは、メール・電話で攻撃を仕掛けてくるわ、私達がアメリカの物を盗んだと言いがかりをつけてくるわ、で、もう大変。

 

 

現在は裁判を起こそうとしていて、このままいけばそうなるのではないか、と。

 

 

トップの交渉がうまくいかなかったんですね。

 

まだ結果は出ていませんが、今のところロシア、フィリピンの勝ちのような感じです。

 

言った通り、アメリカはもう来なくなったのだから。

 

とは言え、すごい戦いでした。

私は見事に、フィリピン、ロシア、アメリカ、ケビン、社長全てに巻き込まれるMs.Japaneseの名を欲しいままにしていましたから、

毎日毎日、だれかから誰かの愚痴を聞き、時には説教し、時には私が怒られ、時にはご飯に誘われていましたので、まぁ生きた心地がしませんでした。

 

どっちつかずの私が悪いと言ったらそうなんですが、どっちもどっちだと思ったんです。戦争ってそうゆうものでしょ。どっちも自分が正しいと思ってる。

 

だから、私は戦場には立ちたくなかった。

ただ意外と外から見てる方が辛かったりしますね。

彼らは自分を正しいと思っているからまるで悪びれませんからね。

 

そんなことがあって、もう2ヶ月くらい経つんですかね。

 

なかなか書けずにいました。

戦火にいる時って、なかなか鳥瞰出来ないもので。

 

今やっと書けました。

まぁまだ終わってないんですが。

 

とにかく、夢の中で松本人志の愛人になっちゃうくらいは毎日ヘトヘトですね。

せめて本命にしてくれないものかな、夢なんだから。

 

私は今日も世界平和と願わくば私の職場の平和と食べても太らない体とステキな彼氏とお金が急に舞い降りてくることを願うばかりです。