ソバカス。

ふ、と最近自分のことそんな嫌いではないなぁ。と思って。

 

もちろん、全部好きなほど自己肯定力ないんですが。

例えば、私ソバカスがあるんです。

それを、つい一昨年まですごい悩んでいてレーザーみたいなので消す美容外科みたいなとこ行こうかな、なんて思ってたんです。

 

中学とか高校の時はもっと嫌だったと思うんですけど、どれ程嫌だったかは覚えてないんですが。

 

でも、気づけば自分の似顔絵を描くときに(幼稚園の先生だから描くときがあるんです、遊びながらとかね)絶対にソバカスを入れて描くし、子どもにwhy do you have a lots of spots? と聞かれたら、Because it’s me.と答えられる。

 

まぁホンマこれ以上増えては欲しくないんですが、あるのが私かぁ。

ってなんとなくやっと受け入れられるようになりました。

 

それってなんでだろう〜と思って。

 

なんとなく自分で出た答えが、オトナだから。

と言うもの。

 

子どもの頃って両親や周りの大人にそのままで愛されていて、それにさえ気づかないほど純粋だった。

だから自分を否定しても、周りから愛されている安心感で、なんてゆーんだろう。本質の否定にならなかった、と言うか。

私は自分を否定している、とは言え親や大人は私のこと否定しないでしょ。

と言う勝手な安心感があった気がするんです。

 

でも大人になってみると、結構人って自分に甘くない。いや、もちろん私は結構甘やかされてる自覚はあるんですが、とは言え自分で自分を支えていかなきゃいけない。

ずっと甘えられるわけではない。

 

自分で立たなきゃいけない、戦う場面がたくさんあるんですね。

 

そんな時自分で自分を否定してしまったら、全くもって立ち上がる気力がなくなるし、誰も手を引いて立ち上がらせてくれない。

 

だから、多分少しずつ好きになるようになったんだと思います。

 

とゆうか好きでいなきゃやってられない、という部分も(笑)

 

なんかそう思うと、教育って大人になったときに自分を好きになる為にするものなのかも。

 

一つ一つ、苦手を砕いていったり、得意を増やしていって、そこで自分を見つけていく。

 

私みたいに大学卒業後も見つからなくても、仕事を通してだんだん好きな部分が出てくる。

 

だから、教育ではたくさんのことを学ぶんだな。

全部が役には立たないけど、全部が自分の糧になる。

そう思うと、やっぱり教育しててよかったと思いますね、今。

 

偉くならなくていい、

強くなくていい、

負けてもいい、

でも、ちょっとでも自分を好きになれたらいいな。子どもたちも。

 

 

もちろん教育だけじゃなくて、経験もあるんだろうけど。

 

 

みんなの中のソバカスもいつか好きに変わりますように。

全部じゃなくていいからね。