異文化理解ファイルNo.1~子ども~

この世で一番怖いもの、それは子どもである。

 

 

子どもというのはルソーの教育論により18世紀に発見されたとされている。

それ以前は、子どもという概念がなかったことになる。

 

私自身、じぶんの子どもを持ってないまでも、毎日子どもと戦っている人間としては、子どもは本当に恐ろしい存在であるが故に、ルソーが発見しなかったとしたらどうなっていたか、と考えると恐ろしくて、濃厚なエスプレッソを飲むことでしか自分を落ち着かせられないほどだ。

 

まず子どもは、嘘を平気でつく。

朝、今日お昼のお野菜全部食べるー!

と張り切って言っているかと思うと、

全く食べない。

食べるといったのに!とこちらが主張すると、無視だ。

まるで黙秘権を使われているようで、かつ丼でも出したくなるが彼らにかつ丼なんて言うものは全く通用しない。

こちらが引く姿勢を見せずに、食べるまで褒め褒め攻撃で攻めていくと、泣く。

泣くのがその日三回目であるにもかかわらず、まるでこの世の終わりのように泣く。

お野菜を食べると主張したのは、子ども側にもかかわらず、まるで私が悪者であることを主張するように泣く。

これをやられると、ほぼ私の負けは確定で、手を引かざるを得ない。

仕方ない。食べなくてもいいよ、と伝えるとなんと見事に泣き止む。

 

素晴らしい演技力だ。

私が演出家であるのなら確実に彼らを映画に起用するが残念ながら、そうゆう場面になると全く泣かないことも私は知っている。

 

 

また子どもは平気で私を嫌いと伝えてくる。

大人がどれだけ傷つきやすい存在か、カップぎりぎりに水が入っている状態で少し揺らしたらこぼれるように、風船にたっぷり空気を入れた状態で少しつついたら割れてしまうように、私たちはぎりぎりで生きている。

にもかかわらず、私が彼らの将来の歯を想って歯ブラシしようね。と問いかけたり、道を歩いているときに道路を歩いているので彼らの命を想って、まっすぐ歩こうね。と伝えているのに、彼らはなんとこう叫ぶ。

 

きらーーーーーーい!

 

これで、私の満杯のカップの水は溢れ、風船は割れるのである。

 

そして、極めつけは気分屋ということだ。

彼らは驚くほど意見を変える。

前述したように、朝お野菜を食べるといったのに3時間後のお昼には食べないという主張を見事黙秘権を使い押し切るし、お絵かきをしないと言ってからすごく楽しそうにお絵かきをしてプレゼントしてくれたり、嫌いと言った5分後に大好きと抱きついてくる。

 

全く信用できない人種である。

 

西加奈子の作品で『きりこについて』という小説の中で、彼女は子どもは酔っ払っている状態である。と述べている。

これは極めて正しく、極めて真逆でもある。

 

彼らは、酔っ払っているフリが出来るのである。

 

私が来週ピクニックでも行こうか、とその日の天気の良さに 浮かれて提案したものなら、その提案を実現するまでいつ行くのか、問い詰めてくることが出来るし、私がエルサも昔はオムツを履いてたが、彼女は脱いで今やプリンセス。プリンセスになるには普通のパンツを履かなくてはならない!と伝えると、翌日映画の中の小さい頃のエルサはパンツを履いてるかどうか分からない、証拠を出せ。と言ってくる。

 

 

私は、酔っ払っている時の記憶はもはや基本的にはない。

にも関わらず、子どもの記憶力は驚異的だ。ほとんど全て覚えている。

 

これは、酔っ払っているフリをしている、としか考えられない。

 

こんな扱いの難しい子ども達と毎日戦っている私たちには是非、国民栄誉賞と共に季節の野菜を毎月送ってほしいものだ。

 

そんな国民栄誉賞級のわたしからこの世で一番怖い子どもとの接し方をアドバイスするとしよう。

 

子どもとの接し方、それは

だ。

 

 

愛があれば確実に子どもと上手くやれる。

 

まず愛してみると、向こうも時々愛してくれる。

毎日愛してもらおうとしてはいけない。

 

彼らは酔っ払っているフリが上手なのだから、時々しか本当の姿を見せてくれないのだ。

 

これであなたも明日から子どもマスターになれることでしょう。